河合隼雄先生の好きな言葉で「生まれてきたということは病んでるわけでしょう。何もこの世に生まれなくてもいいのに、生まれてきたということはやっぱり病んでるわけだから。。。」というのがあって、理由もなく病んでいる状態は、あたりまえな状態。この世界がもともと病んでいるわけだし。(世界の歴史が昔からずっと戦争や暴力や破壊でうめつくされているのでこの世界は病んでいる)この世に生まれる生命も病んでいるということは別に不思議でもなんでもない。この世という「生命を受け入れる器」がもともと病んでいるのであるから。
赤ん坊の頃から、子供の頃から恐怖心が強く病む傾向が強い私にとって、今生とは世俗的に成功することでもなく、美しくなるわけでもなく、子孫を繁栄させることでもなく、ただただ自分自身を「治療」していくことが使命なのではないか、と思うようになった。
このように使命がはっきりしてくると、効率がよいので助かる。「治療」を最優先に生きていけばいいのだから。エクササイズをする、健康によい材料を調理して食べる、早寝早起きする、ネットにずっといない、太陽の光を浴びる。
小津安二郎の映画で「生まれてはみたけれど」というサイレント喜劇映画があって、最初はタイトルを見ても何も思わなかったけど、「I was born, but...」という英語のタイトルを見て「はっ」とした覚えがある。「生まれてはみたけれど。。。」
「生まれてはみたけれど。。。」「生まれてはみたけれど。。。」そのタイトルを頭で反芻すると、なぜだか人生の神髄が実感できるというか。。。生まれてはみたけれど、この世は厳しくて、残酷ではある。そして、この世になぜだか生まれ落ちた自分自身もこの世と同じ性質を持っている。
「生まれてはみたけれど」、人は生まれつき病んでいるので、自分の「病」を治療していくことになる。個人個人にあった方法で、それは行われるだろうが。